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カツカレーや天ぷら、安部首相とは食の好みが合いそう。
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昔つかっていたデスクトップMacに内蔵されていたハードディスクだけを抜き取って保存していたのだけれど、もうこのハードディスクからデータを読み取ろうとはしないと思うので処分することにした。
初期化はしていなくてデータはたぶん中に残っている状態だ。昔のMacOS用のHDDなのでデータを読み取るのはそれなりの知識や環境がないと出来ないとは思うが、やはり個人情報等で怖いのでなんとかデータを読み取れない状態にして処分したい。それには物理的に破壊するしかないだろう。
ネットで「ハードディスク・処分」等で検索すると、やはりみんな困っているようで色々な方法やアイデアがヒットする。でもお手軽かつ確実な決定打的な方法はなかなか無いようだった。
検索結果をざっと読んでみて結局、ドライバー等でネジをはずして分解できるところまでとにかくバラバラにする→分解したハードディスクを薄いビニール袋に入れる(破片がとびちらないように)→固いアスファルトの上に置く→ものすごく重い漬物石を手で持ち上げて、ハードディスクめがけて真上から落とす→何度も落とす(10回くらい)、としてみた。
かなりの衝撃音が響き渡るので近所迷惑になるかもと気兼ねしつつも漬物石攻撃を繰り返し、そろそろ壊れたかなと思ってビニール袋をはずしてみたら、なんということでしょうほんのすこし形が歪んだくらいであまり壊れていないではありませんか。
あれだけ精密機械!衝撃に弱い!取扱注意!みたいな顔をしておいてびくともしないなんて。このままでデータ読み取り不能状態にできたかどうか分からず不安なので、さらに本体にサンポールをたらしてしばらく放置してみた。サンポールは塩酸を含んでいるので金属の塊であるHDDはダメになるはずだというわけです。
漬物石攻撃とサンポールの合わせ技にしてみまして、その後は燃えないゴミとして出しました。あとはゴミをあさるおじさんにピックアップされないことを祈るのみ。
HDDは壊れてほしくないときにかぎって突然壊れて大変困ったことになったり、今回のように壊したいときにはやけに頑丈だったりと、なかなかに連れないニクイ奴。
楽しかったオリンピックももう終わり。
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夏や冬のオリンピックを見ていつも思うのは「スポーツって世間で言われるほど体に良いことではないよな」ということ。
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2月初旬に市内の大通りで信号待ちをしていたら、私の背後から足音が聞こえてきてジョギングをしていたおじさんがまだ赤信号なのに信号無視をして横断歩道を走り去った。
横断歩道にちょうど車が侵入しようとしていたところだったので、あやうく両者が接触しそうになり車からクラクションを鳴らされていたけれど、お構いなしにそのままジョギングを続けていた。一歩間違えればおじさんは車とぶつかって怪我していた。車はルールを守って運転していたのにあきらかにジョギングおじさんの違反だ。
まさに「体を鍛えるためなら死ねる」を体現しているシーンに出くわした。
たぶんあそこはランナーにとって好都合な道のかもしれない。歩道が広くアップダウンはまったく無い平坦で直線的な道が続いているし、一区画が長いので信号にひっかかる箇所が少ない。
いまは液状化の修繕工事が終了してきれいになっている部分とそうでないところが混在していて工事途中の場所はまだガタガタなので、街中で未舗装道を走る練習(トレイルラン?)も出来て一石二鳥。
上の画像は震災本震の液状化のはじまる瞬間動画で有名なセブンイレブンの前で2014年2月初旬(雪の降る前)に撮ったもの。前から不思議だったのですが、液状化って縦横無尽に地面がひび割れるのではなくけっこう一直線だったり、建物と道路の境目にきれいに沿ってひび割れるのですよね。あくまでも地表にあらわれる部分がそうなるだけだとは思うのですが。
少々専門的な話になります。
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先日無料公開しました「仰げば尊し」と「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」の楽譜ですが。
当方の浄書事例と申しますかサンプルとしてもご参照いただけるように、ちょっとした仕掛けがしてあります。
左:仰げば尊し 右:SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL
原曲であるSONG FOR THE CLOSE OF SCHOOLはホ長調(E dur)、「仰げば尊し」は変ホ長調(Es dur)ですので、音符が並んでいる位置(音の高さ)はまったく同じで調号がちがうだけ、という構成にしてあります。上の画像で赤い四角囲いの部分はちがいますが、音の並びは同じになっております。
調号さえ自分で読みかえることが出来ればどちらの調で歌っていただくこともできますよ、という譜面になっております。
また歌パートの符尾(音符の旗と棒)の向きや付け方に違いを出しました。画像では赤い丸で囲ってある部分です。黒玉の位置は同じですが旗と棒の位置や向きが左右の譜例でちがいます。
さらに弱起の書き方を2パターンご覧いただけます。
仰げば尊しのほうはフレーズのアタマが段の先頭にくるようにしてありますが、SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOLは完全小節にしてあります。日本の歌の譜面ですと弱起をアタマに出しているものをよく見かけます。フレーズの区切りを重視した感じになりますね。
またあえて強弱記号類の有無も違いを出してあります。同じ曲の楽譜であっても編集方針や記譜の考え方次第で様々な譜面になるものですね、という事例です。
楽譜浄書をご検討いただく際のサンプルとしてもご覧下さい。上記曲名のリンク先で楽譜全体を表示およびダウンロード可能です。
偶然にもタイミングが重なったのですが。
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先日公開しました「仰げば尊し」は長年「作者不詳」とされていたわけですが、2011年1月に原曲が突き止められたわけです。
このように(クラシック)音楽の作曲者ってあとから判明したり別人の作品だったということも珍しくないのですよね。
音楽のみならず故人の短歌や俳句、絵画なんかもそいいうことってありませんか。さらにこの先の未来にもたとえば「(研究により)ベートーヴェンの作品とされていたあの有名な曲が、実はまったく別人の作品であることがわかった」みたいなことは起こりうるわけでして。
そうなった時に楽曲そのものの良さや評価が変わるかどうか。絵画はちょっと変わるかも。子供の落書きだと思っていたら実はピカソの作品でしたとなれば途端に絶賛されて数億円とかついちゃう。
音楽はたぶんあまり変わらないのではないかなと。作者が判明したからといって仰げば尊しの楽曲の良さは変わらない。演奏の良し悪しはまた別問題。
たしかに許されることではないしすべきではないことなのでかばうつもりはまったくないけれど、音楽って不思議なものですね。
久しぶりにサイトを更新しました。
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「仰げば尊し」と「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」の楽譜(PDF)をご用意いたしました。無料でダウンロードおよびご自由にご利用いただけます。以下のURLリンク先で公開しております。
http://sollasido.com/store/rack/C003.html
長年作者不詳の曲とされていた「仰げば尊し」ですが、2011年1月に原曲が突き止められました(そのあたりの経緯を知りたい方はWikipedia等をご参照下さい)。この件をニュースで知ってから「伴奏をつけて浄書した譜面をつくろう」とずっと思っていたのですが、このたびようやく公開の運びとなりました。
無料でご利用いただける楽譜にもかかわらず、予算計上しまして(要するに持ち出し)楽譜の監修および参考音源MP3の作成を外注いたしました。このようなご依頼をするのは恐れ多いくらいの方(目上の方)にお願いしまして、ありがたいことにご快諾・ご協力いただきました。あくまでも外注ですのでいま話題のゴーストライターではありません。
「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」の英詩がとても美しく良い詩なのですが、英詩を知ったあとで「仰げば尊し」の歌詞をみるとさらに趣深いのです。直訳ではないにもかかわらず雰囲気は通じるものがありつつもちゃんと日本仕様になっていて、翻訳物としての面白さも同時に味わえるはずです。
原曲はホ長調/E durなのですが日本語版は変ホ長調/Es durにしました。個人的には変ホ長調のほうが好きです。底冷えのする体育館でそこに居る誰しもが「はやく終わんないかなー」とうんざりしている中、しぶしぶ歌わされる仰げば尊しには変ホ長調がよく似合う。変ホ長調は「今はまだしんしんと寒い、でもこれが終わったらもう春はすぐそこ」という仄暗い中にも薄日がさす感じ。ホ長調だとちょっと華やかすぎだけれど西洋の卒業式だったら(夏休み前くらい?)季節的にもホ長調が似合うかしら。
最近の学校の卒業式では「仰げば尊し」をあまり歌わないようですが、シンプルで良い曲だと思うので歌われる機会が増えるといいですね。楽譜も末永くご利用いただければ幸いです。
ごめんなさい薄着無理です。
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仮面座談会パート2です。
(たとえばベートーヴェンが「第九は自分じゃなくてゴーストライターに書かせていました。本当は耳も聞こえてました。ごめんなさい」っていうことだったらどうなっただろう。)
(存命中にそんなことを言い出したら相当に叩かれたかもしれないが、今回のようなことにはなっていないような気がする。)
(ゴーストライターの側から告発するという形で「第九は自分がつくった。あの人ほんとうは耳聞こえてる」と言い出したというケースになると、それはまたニュアンスのちがうことになるかも。)
(楽譜の出版が取り止めになったり、コンサートツアーが中止になったりCDも発売停止・回収になったりしてけっこうな損害が出ているようなのですが、権利関係やクレジットの問題さえクリアすればそのまま継続してみても良いのにね。)
(いわくつきの曲にはなってしまったけれど、作品は捧げた方への敬意や配慮が感じ取れるそつがない楽曲(すべての作品を聞いたことがあるわけではありませんが)で、内容自体が不謹慎だったり不快感を与えるような部分はとくに無いように思う。)
(あの某チャリティソングのほうがよほど失礼な内容よね。)
(色々なことが明るみになったうえで、購入するかしないかはリスナーやユーザーが選ぶことだから。)
(騒動のおかげでCDも売れてるみたいだし、いずれにしても損害を出すことになるのだったらお蔵入りさせるよりは続行してみるというのもアリかなと)
(CDが入手困難となれば、楽曲が演奏されるコンサートは聴衆が殺到するかも。作曲者自身による指揮とかだったら、もう話題沸騰間違いなし!)
(今後のやり方や姿勢によっては償いにつながるかもしれないしね。)
来年の大河ドラマオープニング曲を新垣氏に委嘱すれば全てがまーるくおさまる。
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つい先日APSフィルムの処分のことについて書いたのですが。
あれはもともとモノ自体が処分することを前提に作られていないのですよね。個人情報うんぬんとかがうるさく言われるようになる前の時代に登場したものですし、将来画像関係はデジタルに移行してフィルムが不要になるなんて思いもせずにずっと保存・保管するものだと思っていたわけですから。現像済みのAPSフィルムを処分しなくてはならない未来がやってくるとは思いもしなかったのです。
メーカーは基本的に商品を使い終わった後のことってあまり考えていない。処分しづらいものの代表はスプレー缶。ヘアスプレーやガスボンベみたいなもの。「使いきってから捨てて下さい」と注意書きがあるけれど、なかなか最後まできれいに使い切るのは難しいし、中身が残ったまま捨てると危険でなかなか捨てられない。最近は捨てるとき面倒なものはなるべく買わないようになった。
もし将来ちがう仕事に就くとしたらクリエイティブ系ではなくて「デクリエイティブ(たぶんそんな単語はない)」なこともしてみたい。街路樹や庭木の剪定(庭師)とか。もちろん剪定だけではなく造園や植樹も業務範囲なのだろうけれど、増やすほうはせずに剪定や伐採専門でやりたい。公園とかで枝葉をバサバサ切り落としているのを見て気分良さそうだなと常々憧れています。掃除もきらいじゃないので清掃業とかもけっこういいかも。解体業とかかなりかっこいい。
(ものとして)形には残らないけれど記憶にだけ残るのでもいいかな。たとえば音楽とかね。
カッコ付き文章で仮面座談会をお送りします。
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(あの程度の課題実施的作品だったら朝飯前で、何の苦労もなく作り出せるくらい大変高い能力があるお方なのでしょう)
(というか課題実施だから「作曲」とも呼べない、詰将棋を代わりにやったくらいの感覚なのかもしれません)
(課題実施しただけだから、自分の作品だなんて主張する気はまったくない。思い入れとかこだわりとか皆無で、むしろ名前を出すのはこっ恥ずかしいくらい)
(だから著作権とかどうでも良くて、完全に買い取り案件)
(そんな感じで軽い気持ちで引き受けて、軽くこなしていたら、自分の知らないところで思わぬ形で作品が使われはじめた。しかもなんだか大事(おおごと)になってきた)
(このままでは自分は詐欺の片棒を担ぎつづけることになってしまう)
(これは色々と取り返しがつかないことになってきてしまった、まずいなー)
みたいな?
ロシアはコンテンツの引き出したくさんあっていいな。
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2020年東京オリンピックの最終聖火ランナーは五千万円入ったカバンを携えた猪瀬氏が土下座しながら点火するのがいいかな。
もしくは日本の科学技術の結晶としてロボット(アシモ)を2020年までにさらに進化させて、二足歩行でスタスタと聖火台に向かって歩き、点火してポーズを決める。一切音楽等の鳴らない静寂の中で、全世界のオーディエンスが固唾を呑んでアシモの動きをハラハラしながら見守るの。
クールジャパンサイコー。
(作品そのものではなく背景や経歴を含めて変にありがたがってるだけだから)。
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昔のAPSフィルムで要らないものを処分しているのですが。
左側が現像に出した後の状態(未撮影のフィルムも同じ状態)で、右側が分解したもの。
カートリッジの中にフィルムが入っていてフィルム交換がワンタッチで出来るというものだったのですが、処分するにあたり分解するのがけっこう面倒です。
とにかくこじあけるしか方法がないようで、ドライバー等を無理矢理隙間に差し込んで外側のプラスチックカバー部分を壊して中身のフィルムを取り出します。なかなかうまくいかなくて勢い余ってドライバーで手を怪我しましたルルル。
この硬い殻をこじ開けて壊し、中身を取り出すのはなんだかくるみ割りをしているようです。手を怪我するのも共通のお約束。
おはようございます。
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ファミレスでセットものを頼んだらドリンクバーがついてきたので利用した。
一杯目はカフェオレ(ホット)にしたのだけれど、パッとしない味だった(ドリンクバーに多くを求めてはいけないのは承知しております)。
カフェオレを飲み終えて、二杯目は「本日のコーヒー」というものにしてみた。その日はブラジルという銘柄だったらしい。一杯目のカフェオレの時のクリームがカップにわりと残ってしまっていたのだけれど、同じコーヒーだし気にせず同じカップに本日のコーヒーを注いで飲んでみたら残っていたクリームと混ざり合って半カフェオレみたいになった。あらまあなんと、さきほどよりもおいしいカフェオレもどきになったではありませんか。
あのカフェオレがイマイチだったのはベースとなっているコーヒー部分が原因だったのか。
ドリンクバーのカフェオレってどこでもたいてい最初にクリームが抽出されて、第二段階でコーヒーが出てきて最終的にカフェオレになる。その順番にしないとクリームとコーヒーが分離してしまってきれいに混ざらないからだと思うけれど、ドリンクバーで「泡だけ(クリームだけ)」出てくるボタンというのがあれば、他のドリンクとの組み合わせで自分好みの色々な「○○オレ」が出来て楽しいのではないか。
カフェオレ・オレとか。